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【話の肖像画】静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(3)「抄家」で奪われた全財産 - auone.jp

文化大革命時代の母、バイワルさん(右)

 《文化大革命(文革)が2年目に入った1967年、家族を取り巻く環境が暗転する。「身分を画定する運動」が始まり、父と祖母が「反動的な搾取(さくしゅ)階級の牧主」とされたのだ。将来有望な共産党員でありながら反動分子に嫁いだ母は「政治立場不穏」とされ、政治集会に呼ばれなくなった》
 人民公社の幹部たちは母に離婚を勧めていたそうです。父は離婚に応じていたようですが、母は動じず、暗い雰囲気が一家に漂っていました。この年は干魃(かんばつ)で家畜が食べる草がほとんどなくなり、父は翌年夏、仲間4人で約100頭の馬を追って、遠く陝西(せんせい)省まで旅立っていきました。出発の朝、父は私をみて、「赤い人間の子はいいな」とつぶやいたといいます。赤い人間とは「出身の良い紅五類」で労働者、貧農下層中農、革命幹部、革命軍人、革命烈士のことで、父はその対極の搾取階級である「黒い人間」でした。
 父は反党叛国(はんこく)集団の巣窟(そうくつ)とされた「延安民族学院城川分院」の卒業生でもあり、国を分裂させる危険分子とされていました。文革が激しさを増し、身に危険を察知して遠い土地での放牧を志願したのだと思います。
 《父の予感は当たった。出立してほどなく、家に生産大隊の男数人が乗り込んできた》
 モンゴル語で「抄家(チャオチャ)」と呼ばれる家荒らしです。反動分子の家に乗り込んで家財道具を没収し、抵抗する人をリンチにする。当時、私の家はレンガ建てで、まわりのモンゴル人たちは黄泥(おうでい)の家に住んでいたため、生産大隊の大隊長は「レンガ建ての家に住むとは絶対に許せない搾取行為だ」と怒鳴っていました。母が抄家に協力的だったのでリンチは免れましたが、布団以外の全財産を没収されました。
 このとき4歳だった私はラジオを固く握りしめていて、最後まで手放そうとしなかったそうです。父が天津で買ってきたもので、共産党によってあらゆる文化的な生活が禁じられていた中、夜に家族でラジオを聴くのが唯一の楽しみだったのです。大隊長は私の指を一本一本はがして、思い出の詰まった大事なラジオまで持っていってしまいました。
 《レンガ建ての家には鍵がかけられて封鎖され、一家は掘っ立て小屋に移り住むことになった》
 そのころ、母と私は人民公社のヒツジとヤギを放牧しており、草原に約300頭を追う日々を送っていました。祖母は「労働改造」を命じられ、生産大隊で農業に従事させられていました。家を追い出された私の遊び相手は人懐こい青い毛の子ヤギで、私が座っていると肩に飛び乗ってきて顔をペロペロなめてくる。つらい日々でしたが、この青い子ヤギには慰められましたね。
 しかしその1年後、生産大隊から「黒い人間は放牧する権利はない」とされ、家畜を取り上げられることになった。たとえ国有財産であろうとも、放牧民であるモンゴル人にとって身近に家畜がいないことは屈辱以外の何ものでもありません。母と私は泣きながら抗議しましたが、男たちはムチを鳴らして家畜の群れを追い立て、去っていきました。青い子ヤギもムチ打たれ、行ってしまいました。こうして私たちは家も家畜も失ったのです。(聞き手 大野正利)

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August 11, 2020 at 08:02AM
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